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ヤマギシズムとの出会い

身在此山 (发表日期:2017-07-11 14:52:18 阅读人次:917 回复数:0)

  特別講習研鑽会

  
世の中はバブル景気の陰りがちらつきだし、年号も平成に変わっていました。動物病院の仕事は順調でしたが、ヤマギシズムの講習会への参加が目前に迫り仕事が手につかないくらい心配なことがありました。ヤマギシの村で暮らす人の多くは参画者といい、ヤマギシズムの趣旨に賛同して、自分の財産すべてを提供して生涯をヤマギシの村でおくります。我が家に出入りしている尾崎さんもその一人でした。講習会へ参加したら自分ももしかしてヤマギシに行くなんてことになったら大変だ。そんなことを妻に話したら、「あなたが、ぜったい行きたがるようなところじゃないから大丈夫。」と笑っていたので安心しました。

  
そしてついにその日がやってきました。会場は三重県の津市のヤマギシの豊里実顕地というところです。甲府からは車で行くことにしました。一人での長距離ドライブです。その頃は、生意気にもベンツのスポーツタイプを運転していましたから、中央道をかなりのスピードで飛ばして三重まで行ったことを覚えています。

  
豊里実顕地。そこは一つの町のようでした。広大な敷地にはたくさんの建物が並び、その周囲に田畑が連なっていました。案内所に着くとすでにたくさんの人が講習会の受付をするために待機していました。少し待つとバスが来ました。講習会を行う場所は少し離れたところにあるので中型のバスで移動しました。10分くらい走るとだんだん山の中に進んでいきました。そして、森を抜けると小高い山の頂上にその会場が見えました。建物の中に案内されると、そこには今までに見たこともない広さの畳の部屋がありました。

  
受付が始まりました。おそらく100名ほどの参加者がいたと思います。いくつかの班にわけられ、それぞれに世話係というヤマギシの村の人たちがいました。受付時に着替え、洗面具、必要な薬以外はお金、免許証などすべて預けるよう言われました。とても不安でしたがやむを得ず従いました。その夜から講習会が始まるというので先に風呂に入り、食事をしました。風呂には班ごとに入ります。(もちろん男女別ですが)夕食も班別に食べ、食器洗いなども交代でしました。食事はすべてヤマギシの村の生産物から作られており、とてもおいしかったです。

  
そしてついに講習会が始まりました。広間に全員が円形に座布団に座っています。大勢でしたので三重の円を組んで座りました。真ん中に進行役二人が座っています。ヤマギシの村では会議などすべての話し合いはこのように行われ、これを研鑽会と言いました。まずは一人ずつの自己紹介とここに来た理由などを話したのですが、100名ほどいましたし、一人が話す時間が決まっていないのでいつ終わるのか気が遠くなっていました。おまけに時計も持っていないし、部屋にも時計がないし時間が全く分からなかったのです。日頃いつも時間を気にする生活をしていたのでこの1週間やれるかとても心配でした。自己紹介だけで3時間、いや4時間くらいかかったかのように思えました。そして少し休憩してそれが始まったのです。

  
まず一人ずつ今までに、とても腹が立ったことを思い出しそれを出し合いました。そして、その後進行役が言います。「なんで腹が立つのですか。」と問いかけます。ん?みんな意味不明な様子です。そしてまた言います。「なぜ腹が立つのですか」と。ここは山の中、再び気の遠くなるような静けさと、ずっと座布団にすわっている苦痛。そして睡魔。

  
「夜も更けたのでこれで終わります。では、また明日。」やっと解放された。眠すぎて何も考えられなかった。寝るときは、なんとこの広間に全員それぞれのふとんを用意され寝たのでした。今何時だろう?

  
「おきますよー」の声で起こされた。なかなか起きられない人も多かった。みんなひどい顔でした。7時頃だろうか?まあ、どうでもいいと思えるようになっていた。広間のそうじをしてお茶を飲みました。ヤマギシの村は、一日2食。少し早い昼食と夕食を食べるだけでした。ですから朝はお腹がぺこぺこです。お茶を飲んで朝の研鑽会が始まりました。昨夜の続きです。「なんで腹が立つのですか?」ん、また始まるのか。あの苦痛のような長い時間がまたやって来ます。参加者はそれぞれだんだん積極的に自分の思いを出し始めました。自由に発言できるので、よく話す人は顔なじみになります。まったく話さない人もいます。自分自身もいろいろ話たくなってきてなにか楽しくなってきました。ほとんどの人がお互い初めて会う人ばかりでしたが、何でも話せるような気になってきてしまいました。「なんで腹がたつのですか。」は、3日目になりました。この頃になると、「腹は立ちません」とかいう人たちが増えてきましたが、進行役は、もう少し考えましょうと言うばかりで何も進んでいない感じです。

  
ついに4日目になりました。日程の半分が終わりました。はたして何か変わっただろうか?相変わらず「なんで腹が立つのですか」で一日が終わる。答えは出ない。

  
5日目。何か少し見えた気がしてきた。はたしてこの問いに答えはあるのだろうか?だんだん腹は立ちませんと言い出す人が増えてきて、それぞれがその理由を述べるが進行役は「そうですか」というだけでした。そうか、だれかに答えを求めるのではないのでは?と疑問ばかりが出てきていました。いろいろな思いを出し合いました。結局自分ではこの答えは見つからなかったし、この場においてもその答えはなかったのですが、この場に自分の思いを出すことで、なにかが心の奥深くに育った気がしていました。

  
6日目になりました。なにかみんなの表情が明るくなった気がしました。この日は、ヤマギシの村を訪問する日です。久々に下界に降りる気分でした。村には子供たちが大勢いました。ヤマギシには保育園のような幼年部、小学校のような初等部、中学校は中等部、高校は高等部があります。村の子供と一般の家庭からの子供たちが親元を離れて暮らしていました。また村には診療所や歯科医院、大浴場などの施設もありました。村の中ではお金を使うことなく、住人も個人のお金を所有しないということを知りおどろきました。村人訪問を二人一組で行う予定になっており、自分たちは村の診療所夫妻の部屋を訪ねました。6畳一間、小さなテレビと布団だけしかない質素な部屋です。着替えは衣類館、食事は大食堂とそれぞれ生活館が別にあるので部屋には布団だけあればいいということでした。

  
訪問先のご夫妻はお二人とも医師で、村に来る前は医大に勤務されていたようです。子供さんの不登校が原因でヤマギシズムに出会い、家族で参画したということでした。とても穏やかな暮らしができて高校生になった子は、ヤマギシズム高等部に入り元気になったということでした。今思うとこの時の自分はこの家族がなぜ参画したか、そればかりを聞いていたようでした。その夜は村で夫妻とともに食事をして研鑽会場へ戻りました。

  
さて研鑽会をするのもあと1日で終わり?その夜もまたいつものように研鑽会が始まりました。みんなの表情も明るかったのですが、進行役の一言でそれは一変しました。

  
「あと一日でこの講習会は終わります。皆さんは、そのあとここに残れますか?」と進行役が言いました。みんな一様におどろき、え?と聞き返しました。「残れますか」と繰り返えされます。またあの静けさがやってきて、それは何時間も続きました。誰かが切り出します。「わたしは、残れません。家族が待っているからです。」「私も残れません、仕事があるしそういうつもりでここに来たのではない。」みんな残れないと言いました。怒り出す人もいました。この人たちは本気で言っているのか。だれもここに残ろうなんて思うわけない。「残れますか」また、繰り返される。自分に問うてみた。本当に残れないのか。勿論家族みんなが帰りを待っていてくれる。仕事もしなくてはいけないし。心配してくれる人もたくさんいる。うっかり「残れます」なんて言ったら参画しなくてはいけなくなるかも。

  
おそらく真夜中だろうがみんな緊張していてうとうとする人もいなかった。何か起こるのではと、本気で心配していました。すると「残れます」と誰かが言った。すかさず「本当に残れますか」とその人に言う。「残れます」とその女性はきっぱり言いました。表情はなにかほっとしたようにみえました。何人かが残れますと言いました。そのうち外が明るくなってきました。少し休みましょう。寝床に入ったがなかなか眠れずに、2~3時間したら起こされた。また始まった。「残れますか」自分を束縛しているいろいろな思いや、すべてを放棄できないという責任感みたいなものから、なかなか「残れません」と言えない自分が見えてきた。もっと自由になればいいと思えた瞬間があった。そしてついに「残れます」と素直に言えた。今でもその感覚はおぼえていますが、この瞬間全身の力が抜けたように思えました。ほとんどの人が残れますといいました。そして、この研鑽会は終わりました。

  
その夜は打ち上げパーティーのようでした。みんなはじけてしまい、泣いたり笑ったり。気が付くとかってなかったような大笑いをしていた。腹を抱えて笑うとはこういうことか。

  
なにか自分が変わった気がしていた。そして自分が背負っていたものから解放されたように踊っていた。

  
翌日は出発の日です。みんな晴れ晴れした表情でした。バスで受付した場所まで戻るとなんと妻が出迎えに来ていたのです。思わず感激して泣いてしまいました。何も聞かれなかったけど、同志になったように感じていました。7泊8日はとても長かったのですが、ここで自分自身のことや、人とのつながり、生活そして環境問題など自分なりに深く考えることができいい経験ができたと思っていました。

  


  
文章来源 http://www.serizawa-vet.com/novel/archives/69


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