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ヤマギシ会の思い出

身在此山 (发表日期:2017-07-12 10:52:34 阅读人次:5014 回复数:2)

  ヤマギシ会の思い出 その1

  
予告してプロローグ的なエントリーまで2本も立てていたのに、なかなかまとまらなかったヤマギシネタですが、meici様、大変お待たせいたしました。ヤマギシ会は90年代中葉にマスコミで諸問題が報じられてから往時の勢いをなくし、近年ではあまり話題にもならない存在でしたが、大ベストセラーとなった村上春樹の新作にモデルと思しき団体が描かれていたことから、久々に各所で語られています。

  
我が家とヤマギシの縁は、記憶を辿ると小学生の頃までさかのぼることができるので、70年代からだったのではないかと思います。私の母は、それ以前から生協だけでなく、近所の意識の高い主婦たちと無農薬野菜の共同購入などをやっており、葡萄や梨や西瓜といった果物も、その辺のスーパーで買うのではなく、美味しいと定評のある生産者のもとまで出向いて直接仕入れていたものでした。当時は自家用車がありませんでしたから、自転車やバスを駆使してそんなことをする母の情熱は半端でなく、うちの兄弟が長じてからも食べることに労を惜しまないのは、その影響でしょう。子どもたちに安全で質の高いものを食べさせたいと願う、自然食志向の活発な専業主婦とヤマギシが出会ったのは必然だったかもしれません。故郷にヤマギシの店舗はなかったので、定期的に移動販売車が配達にやってくるのですが、創業商品である有精卵の他に、牛乳や鶏肉などが我が家の食卓に並ぶようになりました。

  
『1Q84』の青豆というヒロインは子ども時代、「証人会」というモロにエホバを思わせる宗教の信者である両親に、週末ごと宣教活動としての戸別訪問に引き回されます。また、教義上の理由から学校のあらゆる行事をパスしなくてはならず、給食を食べる前に皆の前でお祈りを捧げるという独特の行為も、当然のことながら学校でも気味悪がられ、周囲から無視され暗黒の少女期を過ごします。小学校卒業と同時に、意を決して両親と教団から離れ、親戚の家に引き取られます。そこから必死で人生を建て直してきた彼女は、体育大学を出て優秀なスポーツインストラクターになりますが、顧客である老婦人からアウトローの仕事を請け負う裏の顔を持ちます。また一方で定期的に行きずりの男性を漁るという爛れた私生活を送り、トラウマからくる歪みなのか、どこかストイックで厭世的な女性として描かれています。

  
そんな青豆も、息詰まるような大仕事を終えた後、または難度の高い危険なミッションに臨む直前になると、こう唱えるのです。

  


  
天上のお方さま。

  
あなたの御名がどこまでも清められ、

  
あなたの王国が私たちにもたらされますように。

  
私たちの多くの罪をお許しください。

  
私たちのささやかな歩みにあなたの祝福をお与えください。

  
アーメン。

  


  
あんなに嫌で嫌でたまらなかった証人会、憎んでも憎み切れない教えのはずなのに、勝負どころや正念場になると、脊髄反射的に「お方さま」に祈ってしまうのが何とも切ない。これは「祈り」というものの深淵を考えさせられるし、実際に宗教の脱会者は同様の症状(解離)を示すといいますね。人は幼い頃から刷り込まれたものを、容易に消せないという意味でも興味深いシーンです。実は私も、「われ人とともに繁栄せん」と「愛児に楽園を」というヤマギシズムを象徴するキャッチフレーズを今でも諳んじています。多くのヤマギシ製品のパッケージに印刷されているため、牛乳パックの側面などのそれは、毎朝の風景の一部でもありました。だから30年以上も経つのに、その字体までありありと浮かんでくるのです。

  
ヤマギシ会(95年に幸福会ヤマギシ会と改称)をご存じない方のためには、少々説明を要するのかもしれませんが、このページが一番コンパクトにまとまっているのでリンクを貼ることにして詳述はしません。宗教ではありませんが、ただの農業法人というわけでもなく、ユートピアを目指して共同生活する思想団体であり、熱中集団という定義からすればカルトに分類できるでしょう。この独特のコミューンは、農産物から得る収益を拠点拡大の原資としていて、販売は勧誘の有力な手段でもあります。製品ファンで、かつ共産主義にいささかなりとも親近感をもち、ヤマギシの「無所有・一体」というコンセプトに共感する人たちは、特講や研鑽学校というセミナーに誘導され、それを経て村人になるというパターンが一般的です。宗教で言えば出家ということになるのでしょうが、ヤマギシの場合、ムラ(実顕地という)で共同生活を始める(参画)にあたっては、全財産を寄進することが義務付けられています。

  
私の母は、前述のように古くからの製品愛好家でありシンパだったので、特講(詳しくは後述)というセミナーは勿論、その次のステップである研鑽学校にも参加していました。ほとんどムラビトに王手をかけていたわけですね。当然ながら、長年にわたって参画を勧められたそうですが、結果的には最後の一線を越えることはありませんでした。アムウェイなどのネットワークビジネスでも、洗剤などは気に入って使うけど、決してアクティブなディストリビューターにはならず、ユーザー専門で通している人がいますが、そんな感じだったかもしれません。ヤマギシサイドにしても、熱心な在家信者(サポーター)の存在は、団体としての厚みを増すと許容したのでしょうか。そのあたりは想像ですが。

  
我が家とヤマギシのかかわりは、母が研鑽学校に行き、そごう食品売り場の一角にあったヤマギシ販売所でパートをしていた80年代後半から90年代初頭にかけてが最も深く、世の中がバブル景気に沸いていた時期とほぼ一致します。ヤマギシ会自体もこの頃に最盛期を迎えていて、91年には売上が242億円にも達し、日本全国どころかブラジルやアメリカにも農場を拡げていたほどでした。そんな時期に、私は母の勧めと出資により、大学の夏休みを利用して総本山の三重県の人里離れた山奥で開催されるヤマギシズム特別講習研鑽会(特講)に参加することになったのです。(以下 次回へつづく)


 回复[1]:  骏骏 (2017-07-12 10:55:28)  
 
  ヤマギシ会の思い出 その2

  
現在の大学3年生といえば、秋から本格化する就職活動に備えてインターンシップなどで多忙ですが、私の頃は大学3年の夏休みはのんびりしていたものです。人間暇だと碌なことを考えないとはよく云ったもので、ヤマギシ無間地獄の1丁目1番地である特講に参加することになった経緯は前回書きました。

  
ヤマギシは初期の定番商品である卵・牛乳・肉といった一次加工品だけでなく、プリンやアイスやカステラなどのお菓子をはじめ、こんなものも!と驚くほど無節操に製品バリエーションを増やしていましたから、母がそごうの販売所でパートをしていた頃の我が家の冷蔵庫は、常に「ヤマギシ」で溢れかえっていました。母は子どもたちに対しても、自らが体験したヤマギシの肝といえる特講の素晴らしさを説き、しきりに受講を勧めてきました。弟にも楽園村と呼ばれるジュニアイベントへの参加を促していましたが、この楽園村というのもくせもので、ヤマギシの実顕地と呼ばれるファームで自然に触れ、牛や豚と戯れるという合宿は、あたかも林間合宿のように装っています。しかし、これは特講の子ども版という位置づけですから、もちろんヤマギシズム啓蒙が主目的です。親が参画することになれば、否応もなく子どももムラに叩き込まれることになるわけで、それに備えたプチ洗脳です。

  
そんなことを知ってか知らずしてか、日焼けして一見生き生きとした子どもたちの写真満載のインチキ臭い会報を見せられても、弟は「んなもん行くわきゃねーだろ! バーカヽ(`Д′)ノ」と全く相手にしていなかったのですが、私はちょっと違っていました。過去には鶴見俊輔、小田実、本多勝一といったいわゆる進歩的文化人がヤマギシを賛美していたこと、若者に人気の宗教学者だった島田裕巳(後にオウム擁護でバッシングを受けて大学を辞することになる)も一時期ヤマギシにいて好意的な評価をしていたことに興味を持ったのです。

  
それにヤマギシの秘密結社じみたミステリアスさも好奇心を刺激しました。「教祖は誰なんだ?」と訊いても、母は「ヤマギシにはそんなものはいない」といいます。たしかに絶対的なカリスマはいない集団指導体制なのかもしれませんが、数千人の村人を束ねて組織を運営していくのにリーダーがいないなんてありえないし、肝心の特講にしても、現場で何が行われるのかをいくら訊いても「行けばわかる」としか云わないのです。当時(91年)はインターネットも発達していませんでしたから、情報を発信している人はいなかったし、調べようがなかった。ヤマギシ告発レポの決定版となる米本和広著『洗脳の楽園-ヤマギシ会という悲劇』の基になる宝島での連載スタートは、3年後の94年まで待たなくてはなりません。ヤマギシ会の欺瞞が世に明らかになる前は厚いヴェールに包まれていたので、私は実態を自分の目で確かめてやろうと思ったのです。もともとそんな気分だったので、ヤマギシの新鮮で美味しい食事が1週間食べ放題という殺し文句に、食い意地のはった私はとどめを刺され、ついに特講への参加を決めたのです。

  
会費の5万円を振り込む正式申し込み直前に、突然父に呼ばれました。母が不在時を見計らったように現れた父は、いつになく思いつめた顔で私にこう云いました。

  
「特講に行くのを止めてくれないか」

  
母親がヤマギシに熱中するのを苦々しい思いで見ていた父は、私に向かって「ブルータスよ、お前もかという心境なんだ」と絞り出すような声でキャンセルを懇請してきたのです。父は世間知らずの大学教員とはいえ、当時は統一教会や怪しげな自己啓発セミナーに学生が勧誘され被害を受けるケースが少なくなかったので、この手のものの危険性を多少なりとも見聞していたのでしょう。あるいは本能的な嫌悪感からなのかもしれませんが、前途ある(?)長男への悪影響を憂えて、阻止にかかってきたのです。

  
私は正直ピンときませんでした。そういう洗脳セミナーに参加しても揺るがない自信があったからです。その根拠として、当時の私は何かに縋りたくなるような切実な悩みがなく、魂の救済も求めていませんでした。宗教も然りですが、大体ああいうものは、自身や肉親の健康問題、進路、仕事、人間関係など深刻な煩悩を抱えている人がはまってしまうもので、私の場合は一種の探検隊というかジャーナルな目的で参加するのだから心配は不要であると反論しました。

  
「入り口で所持金や時計は預けさせられるみたいだけど、何も電気ショックかけられたり、とって食われるわけじゃない。実際お母さんだって無事に帰還しているわけだし・・・」

  
しかし、父はなかなか引き下がろうとしませんでした。いつになく粘り強い説得に根負けして、結局私は特講行きを取りやめることにしました。今振り返ると、「人間なんでも経験が大事ということではなくて、しないほうがいい経験もたくさんある」という父の警句をそれなりに尊重した格好になります。当然ながら母は落胆していましたが・・・。まあ、あの時行っていれば、このエントリーはもっと重厚なものになったでしょうけどね。

  
今日ではヤマギシ関連のサイトも結構存在して、特講の実態もわかってきました。コレをみると、特にクライマックスの「怒り研」などは洗脳というか完全に人格破壊を企図しているとしか思えません。前のエントリーにも書きましたが、足利事件で菅家さんを自白に追い込んだという警察の取り調べ手口と同じなんです。同じことを繰り返し繰り返し問われることで、相手の求める答えを探すようになるということが、前掲のシナリオを読んでいくとわかります。プログラムも実に巧妙に出来ていて、強面男性による圧迫系の時間と、温和な女性世話役を囲む息抜き的な時間を交互に配し、参加者の心をぐらぐら揺さぶり、マインドコントロールしているんですね。さすがに30年間練りに練ってきたセミナーだけのことはあります。特講に取材目的で潜入した米本和広氏もあまりのインパクトに軽い解離性障害を起こし、後遺症に悩まされたと述懐しています。プロのルポライターがそうなのですから、青二才の私もいささかの影響を受けてしまったかもしれません。

  
80年代に破竹の快進撃を続けていたヤマギシ会が、子ども虐待や農薬使用、財産返還訴訟などさまざまな問題が噴出し、存在が社会問題化していくのは、米本氏のレポートが出た90年代中葉以降のことです。(以下 次回につづく)

 回复[2]: ヤマギシ会の思い出 その3 骏骏 (2017-07-12 10:56:37)  
 
  ヤマギシのユートピア思想は、今でも自分とは相容れないし興味はありません。でも「自然との共生」とか、「無所有・一体」というテーゼは、パーシャルでは全否定しませんよ。分譲マンションだって共有スペースはあるし、近年の大都市圏で増えてきたカーシェアリングなどはエコにも有効ですから。ただ、私自身は「自由」や「所有の喜び」を大切にしたいし、それが人を豊かにすると肯定的に捉えています。

  
子どもにしても、育つ過程において、健全な欲求はエネルギーになるものだと思っています。また、「無我執」という考え方ですが、これこそインチキで、執着や怒りをはなから存在しないものとするのであれば、その人間は空っぽじゃないですか。空っぽな人間は人に指示されるままに動くロボットでしかなくなります。怒りを自ら制御してうまく折り合いをつけていくのが、人間の真っ当なあり方だと私は考えています。

  
失速してリッチじゃなくなった近年のヤマギシは、労働力として使い物にならなくなった高齢者の村人に、たった100万円だけ持たせて、せっせと追い出しにかかっていると聞きます。ついに馬脚を現したという感じですね。なーにが「お金のいらない社会」だよ、年越し派遣村に集まった人たちに、食うに困らないヤマギシを教えてあげようと思っていましたが、今やそれどころではなく内情は火の車のようです。

  
そろそろ総括しましょう。私の母がヤマギシに出会ったのは生産物がきっかけでしたが、嵌ってしまったのは、当時の精神状態も大いに関係していました。エゴイストで我儘な夫に束縛され振り回されるストレス、それに子育ての大きな悩みがありました。末の弟がグレて手がつけられないようになり、家裁のお世話になるという状況でしたから、行く末に大きな不安を抱え、ソリューションと救済を強く求めていました。ヤマギシとは別に、斯界では高名な占い師を紹介してもらい、「神様」などと呼んで信奉し、わざわざ千葉まで遠征して診てもらっていたのもこの頃です。

  
夫にパートに出ることも許されず、手に職のない専業主婦だった母にとって、ヤマギシは楽園というより、最後の砦と考えていたふしがあります。村に入ってしまえば金がかからず衣食住が保証されるわけですから、夫との関係がのっぴきならないところまで悪化したら、「最後はヤマギシがあるさ」と計算していたのではないかと。母は4人いる姉妹と大変仲がよく、現世に未練は十分あったはずですから、外出禁止で、実顕地という名の人民公社の中で生涯農民として暮らすことになるヤマギシ参画を、本気で考えてはいなかっただろうと想像します。

  
理想主義的で本質論者、アクティブで社交的な論客だった母は、どこか特定の団体や組織に属しているわけではないものの、選挙では共産党に投票していたし、ヤマギシ的なものに惹かれる素養は十分に持っていました。一方、父は正反対でしたね。俗物だし手を汚したくないから農作業なんて大嫌い、安保闘争ピーク時の学生だったのに、1度もデモに参加せず図書館と教室を往復する極めつけのノンポリでした。だいたい集団で何かをするのを好まず、市民運動とか新興宗教なんかを蛇蝎のごとく嫌っておりました。身内(母の姉)の学会員に懇願されても、聖教新聞を1ヶ月とることすら頑として拒絶したほどですから。

  
でも結果的に我が家の場合、本件に関しては父の存在に救われた面があります。正反対のキャラが抑止力となって機能していたからです。さすがに3人男兄弟が長じていましたから、いざとなれば団交などで徹底抗戦したでしょうが、まだ物心つく前に(または生まれてくる前に)両親が揃って前のめりになっていたら、子どもはひとたまりもない。

  
一歩ともまではいわずとも三歩くらい間違えば、我々兄弟も危なかったかなと時々戦慄が走るのです。もし親父がブレーキにならなかったら、以前紹介した米本和広著『カルトの子-心を盗まれた家族』でレポートされているような悲惨な境遇-親が信者だったばっかりに、ヤマギシのファームに閉じ込められ、1日2食で朝から晩まで農作業に従事し、世話役に虐待され、ろくな教育も受けられず、仮に脱出しても学歴がなく社会の底辺でのた打ち回る・・・といった悲惨な運命が待っていた可能性が、ごく僅かながらあったということで、だから今でも、私は「カルトの子」たちの悲劇的な境遇を他人事と思えないのです。

  
実際ヤマギシへの参画者は、教員や医者などインテリ職業に従事する人たちが非常に多く、事実母の近しい友人も、夫が有名私大の教授で夫人も国家資格を持つ専門職ですが、ヤマギシにかぶれ一家にムラに入りました。当時はバブルだったので、なんてことない都内の公団中古分譲マンションでも、売れば数千万円の売却益が出たので、その他を合わせて5千万円ほどの資産を全額寄進して入村したのです。まったく正気の沙汰じゃないなと呆れたのを覚えていますが、狂信者はどこで野垂れ死にしようが構いません。でも可哀想なのはお子さんです。ヤマギシへの入村を最後まで嫌がっていた娘さんは、案の定ノイローゼになってしまったそうです。

  
90年代から2000年初頭にかけて、いくつかのカルト団体が人々の耳目を集め、一般にその危険性が認識されるようになったとはいえ、私は以前よりも現代の方が、「カルトの子」を産み出す土壌があると思っています。先行き不透明という将来への不安感もそうなのですが、世の夫婦の力関係の問題です。我々の先代(両親の年代)は、まだまだ「亭主関白」が主流で、奥さんが忍耐することを強いられていました。でも今はどうでしょう。これは自戒をこめていうのですが、家・車・レジャー・教育などあらゆるオフの案件が奥さん主導で、旦那はデシジョンメーカーたる妻の方針や計画をただただ追認するだけの存在になり下っている傾向があります。

  
住宅に関しては、昔から奥さんのものと相場が決まっていましたが、クルマの選択事情が随分様変わりしたのは広告を見れば一目瞭然です。ミニバンなどの宣伝はターゲットを主婦に定めていて、ファミリーカーのみならず、最近流れているダイハツの軽自動車のCMでは、試乗しながら車を選んでいる女子に向かって、お付き合いの草食系と思しき彼氏が「車なんてどれだっていいじゃん」とぼやくと、肉食系の彼女が目を吊り上げて、「じゃあ彼女だって誰だっていいってこと?」と彼氏にヘッドロックをかけていたぶっているのが象徴的です。

  
宗教やネットワークビジネス、霊感商法などは、以前から日中に在宅する主婦(女性)が先にかぶれるケースが多いのです。「病気・貧困・人間関係」という古典的な入信動機はまだ健在ですが、最近は内面の精神世界をみつめたり、自己啓発的なものが主流だとも聞きます。だから女性が高学歴化した現代ほど陥穽に嵌まりやすいともいえます。そしてひとたび奥さんが暴走し離婚をちらつかせると、旦那が抵抗勢力にならずに追随してしまうというケースが結構あるのではないかと思います。現に私の周囲にも、奥さんが熱心な宗教団体の信者で、ご主人がいとも簡単に(そういうふうに見える)賛同を示して、今では夫婦でやっているというケースがいくつかあります。

  
信教の自由は憲法で保障されていますから、色んな人生経験や葛藤の末に大人が入信するのは勝手ですが、子どもがいる場合は慎重になるべきだと考えます。子どもにとって適切でないものも多いし、ましてや両親の出家は深刻で、取り返しがつかない事態につながるからです。

  
「カルトの子」(文庫版)の巻末あとがきで、著者の米本氏は取材をしながら、芥川龍之介の晩年の短編『河童』を思い出したと書いています。河童の国では、生まれてくる前の子どもに「お前はこの世界に生まれてくるかどうか、よく考えたうえで返事をしろ」と選択の余地が与えられるのです。カルトの子が同様の権利を与えられたなら、どう返事をするのでしょう。この家(両親)には生まれてきたくないと宣言するのでしょうか。

  
「子どもに対する度を超えた支配権の行使」は、何もヤマギシやエホバや統一教会だけでなく、お受験に狂奔する教育パパママにも共通します。大人は生きてきた過程で、挫折や葛藤があって辿り着いた境地であっても、それが客観的にみてあまりに特殊な世界であるのなら、自分の生き方に子どもを巻き込む権利まではないと思うのは私だけでしょうか。(完)

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